犬のように人に好かれる方法は、誠実な○○をよせること

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この記事では、カーネギーの『人を動かす』のなかの「人に好かれる方法」を取り上げ、人に好かれる方法は、人に対して「誠実な関心を寄せる」ことが重要であることを、事例をまじえながら論じています。

事例にはカーネギーが選んだ西洋における現代の事例と、司馬遼太郎が『関ケ原』で描いている戦国時代の事例を使うことによって、カーネギーの法則が時空を超えて通用するか否かも検証しています。

人に好かれる方法1:誠実な関心を寄せる

あなたは私たちが日常生活の中で何の言葉を一番使っているかご存知ですか?

このことに関連して、ニューヨークのある電話会社が、通話の中でどんな言葉がいちばんよく使われているか、詳細な調査をしたことがあります。

調査結果は非常に興味深いものでした。

この通話の中でいちばん多く使われた言葉は、なんと「わたし」だったのです。

500の通話に、3,990回も使われていたのです。

この調査結果が意味することは、人は他人ではなく、自分のことに最大の関心を持っているということです。

朝も、昼も、晩も、です。

このことを引き合いに出して、カーネギーは、人から好かれる方法としては、つまり友を得るには相手の関心を引こうとするよりも、相手に純粋な関心を寄せることだと指摘しています。

また、「人から好かれたいなら、まず人のためにつくすことだ。― 人のために自分の時間と労力をささげ、思慮のある没我的な努力を行うことだ」ともいっています。

『人を動かす』では、相手に誠実な関心を寄せることが、人から好かれる方法として、つまり相手の心を捉えるうえでいかに重要なことなのかを示す事例が多く紹介されています。ここでは、その中で、米国の大統領であったセオドア・ルーズヴェルトの話を取り上げます。

人に好かれる方法の事例1:セオドア・ルーズヴェルトの他人への配慮

ある日、タフト大統領夫妻の不在中にホワイト・ハウスをたずねたルーズヴェルトは、自分の在任中からつとめていた召使たちの名を残らず覚えていて、台所の下女にまで親しげにその名を呼んであいさつをしました。これは、彼が目下のものに対して心からの好意をいだいていた証拠になるでしょう。

調理室で女中のアリスに会ったとき、ルーズヴェルトは、彼女にたずねました。

「あいかわらず、とうもろこしのパンを焼いているかね?」

「はい、でも、わたしたち召使が食べるのにときどき焼いているだけです。二階の人たちは、だれも召しあがれません」。

アリスがそう答えると、ルーズヴェルトは、大きな声でいいました。

「ものの味がわからんのだね。大統領に会ったらそういっておこう」。

アリスが皿にのせて出したとうもろこしのパンを一きれつまむと、それをほおばりながら事務室へ向かっていきました。

途中、庭師や下働きの人たちを見ると、以前と少しもかわらない親しみをこめて、ひとりひとりの名を呼んで話しかけました。

彼らは、いまだにそのときのことを語りぐさにしていました。ことにアイク・フーヴァーという男は、うれし涙を浮かべてこういいました。

「この二年間にこんなにうれしい日はなかった。このうれしさは、とても金にはかえらえられないと、みんなで、話しあっています」。

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このように、人間は、自分のことに関心を持ってくれ、自分のためにつくしてくれる人を好きになります。つまり、人から好かれる方法は、その人のことに関心を持ち、その人のためにつくすことなのです。

これは日本の戦国時代でも同じです。

司馬遼太郎が関ヶ原の戦いについて書いた小説である『関ヶ原』では、秀吉の妻である「おねね」と加藤清正の関係にこのことが示されています。また、家康は、「誠実」な関心を寄せていることを示すことによって、加藤清正の心を捉えることに成功します。

人に好かれる方法の事例2: おねねに可愛がられていると感じる加藤清正の喜び

おねねは秀吉の正妻で、従一位北政所(きたのまんどころ)といわれていました。終生、夫婦仲がよかったといわれています。織田家の足軽組頭の浅野長勝の養女で、陽気で利発、それに心の広い女性だったようです。

清正にとっては、おねねは母のような特別な存在でした。

司馬遼太郎は、『関ヶ原』で、おねねと加藤清正の人間関係を以下のように描いています。

彼女(おねね)が、近江長浜の城主夫人であったとき――お城主様の母公のいとこにあたる者でござりまする、といって訪ねてきた薄汚い後家(ごけ)どのがある。問いただしてみると、親戚(しんせき)であることはうそではない。村で藤吉郎の出世をきき、わが子を家来にしてもらいたくてやってきた、というのである。

なるほど、後家は一人の幼童をつれていた。これが、のちの清正であった。

当時、虎之助、五歳であるという。

「よい子じゃ、わが台所でめしを食え」

と、秀吉はいい、城で養った。おねねが母代りになって面倒をみてやっていたにちがいない。

おねねはこの清正がすきで、終生、かれへの愛情はかわらなかった。清正がいかに軍功もあり秀吉子飼いとはいえ二十代の若さで、三千石の身上から一挙に肥後熊本二十五万石の大大名に抜擢(ばってき)されたことについては、おねねの力添えが大きかったとおもわれる。

清正も、

「北政所さまに可愛がられている」

というよろこびと感恩の気持ちを終生もちつづけ、豊臣家における北政所の筆頭になっていたのもむりはない。

人に好かれる方法の事例3:朝鮮の役から帰還してきた加藤清正に対する家康の慰労

家康は、秀吉の死後、豊臣家七将のリーダー格であった加藤清正の心を捉えることに努めます。

次の話は、司馬遼太郎が『関ケ原』で、朝鮮ノ役から帰還してきた加藤清正に対する家康の心遣いとその効果を描いたものです。

清正が阿弥陀ヶ峰の秀吉の廟所に行き、そのあと、山麓の大仏殿で服喪している北政所を訪ね、帰国のあいさつをした夜のことです。

(清正は)その夜おそく京へもどったが、戻(もど)ってみると、夕刻家康の使者として井伊直政がやってきて、

「主計頭どのに申し伝えられたい」

といって家康の口上をのべて行ったという。

別段、これという用事ではない。朝鮮ではいろいろご苦労でござったろう、というねぎらいの言葉である。

(言われる筋がおかしい)

とは思ったが、うれしくもあった。奉行の増田長盛などは、ああしてこちらから訪問して行ったのに、その席で一度も戦陣のねぎらいなどをいってくれなかったのである。だから清正は、即座に絶交を宣言してとびだした。

(さすが、内府はちがう)

と、清正は感動した。こちらから出むかぬさきにむこうから来るなどは、生涯(しょうがい)に幾十とない戦場を往来した武将なればこそのあたたかい思いやりであろう。

(内府は、武士を知っている)

と、清正はおもった。

『関ヶ原』での以上の話は、相手に対して高い関心を寄せることによって重要感をもたせることが、その人に好かれる方法として、いかに大事なことかを示しています。

相手に対して高い関心を寄せることは、「人間の心をたえずゆさぶっている、焼けつくような渇きである、他人に認められることを渇望する気持」に働きかけることになるのです。

家康やおねねは、清正のこのような心の渇きを適格に満たしてやることによって、かれの心を自己の手中におさめることができたのです。

まとめ

いかがでしたか?

まず、電話による通話の中でいちばん多く使われた言葉が、「わたし」だったことは驚きですね。それも500の通話に、3,990回も使われていたのです。

人は他人ではなく、自分のことに最大の関心を持っているということが、よく分かりますよね!

この事実から、カーネギーは、人から好かれる方法は、相手の関心を引こうとするよりも、相手に純粋な関心を寄せることだと主張しています。

また、人から好かれたいなら、まず人のためにつくすことだ、とも言っています。

このカーネギーの考えは、文化も時代も違う日本の戦国時代にも100パーセント通用することを司馬遼太郎が描いています。

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