おしゃべりな人が得意でない、人に好かれる方法は、○○手にまわること

友達から嫌われるのが怖くて、なかなか声をかけられない主婦の方へ!

今回は、カーネギーの「人に好かれる方法」の中から、「聞き手にまわる」ことを取り上げ、事例をまじえながら説明しています。事例には西洋における現代の事例と、日本の戦国時代の事例を使うことによって、カーネギーの法則が時空を超えて通用するのかも検証しています。

人に好かれる方法4:聞き手にまわる

『人を動かす』では、人に好かれる方法として、聞き上手になることを勧めています。

なぜなら、人間はみな自分に対する関心が一番高く、自分の話をよく聞いてくれる人がいれば、自己の重要感が満たされ、その人に好意を抱くようになるからです。

人間の自分自身に対する関心の高さについて、カーネギーは次のように書いています。

あなたの話し相手は、あなたのことに対して持つ興味の百倍もの興味を、自分自身のことに対して持っているのである。中国で百万人の餓死する大飢饉が起こっても、当人にとっては、自分の歯痛のほうがはるかに重大な事件なのだ。首にできたおできのほうが、アフリカで地震が四十回起こったよりも大きな関心事なのである。

従って、人が持っているこうした自分自身に対する関心の高さを無視して、自分の話をよく聞いてくれない人に対して人はどう思うでしょうか?その相手に好意を抱くようなことはあり得ないですよね。相手の話しをよく聞かないことは、人に好かれる方法としては最悪です。

人に好かれる方法に係る事例1:得意客の不満を聞いてくれない店員

『人を動かす』では、シカゴのあるデパートで、女店員が客のいうことに耳をかたむけなかったために、年間数千ドルの買物をしてくれる得意客を失いそうになった例が載せられています。

ヘンリエッタ・ダグラス夫人は、このデパートの特売でオーバーを一着買った。家に持ち帰って、裏地が破れているのに気づいた。翌日デパートへ行って取りかえてほしいとたのんだが、女店員は夫人の説明に耳を貸そうとしなかった。

「これは特売の品でございます。あれをよくお読みください」。

女店員は、壁に張り出された注意書きを指さして、声高にいった。

「〝返品おことわり〟と書いてありますでしょう? お買い求めになった以上、そのまま納め願います。破れた箇所はご自分で修理してください!」

「でも、これは、最初から破れていた欠陥商品よ」。

「関係ございません。お取りかえはできません」。

二度とこんな店に来てやるものかと、心のなかでののしりながら、ダグラス夫人が店を出ようとしたとき、顔なじみのこの店の支配人が、にこやかにあいさつして近よってきた。ダグラス夫人はことのしだいを話した。

支配人は夫人の話を最後まで注意深く聞き、オーバーを調べて、こういった。

「特売品は、季節の終りに在庫品の整理の意味で〝返品おことわり〟としてお売りしております。しかし、キズ物は例外です。もちろん、この裏地は修理するか、新しいものに付けかえるかいたします。もしご希望なら、お代金をお返ししてもよろしゅうございます」。

なんというちがいだろう! もし支配人が居あわせず、客のことばに耳をかたむけなかったら、このデパートは長年の上客を失うことになったかも知れない。

このように、人に好かれる方法として人の言うことをよく聞くことが、仕事の面でも非常に重要であることが分かりますよね。

逆に、人の話をよく聞かないで多くの人から忌み嫌われた武将が戦国時代にいました。石田三成です。彼のそのような性格が関ケ原の戦いに大きなマイナスの影響を与えたことは間違いないでしょう。

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人に好かれる方法に係る事例2:同僚に相談しない石田三成

石田三成は、「自我に陶酔し、自分だけが偉いと思い込んでいる」人だったようです。

人の話をよく聞かない三成の性格は、関ヶ原の戦いに限らず、政務全般に関するかれの意思決定方法の特徴に表れています。その典型的な例として、司馬遼太郎は次の例を書いています。

秀吉の死後、家康は伏見城下に屋敷を持つ大小名家を訪ねはじめます。将来重大事が発生したばあい、平素家康となじみの薄い諸侯は、ただそれだけの理由で敵側にはしるおそれがあったからです

家康が細川屋敷をたずねたあくる日、三成は島左近の助言に従い、家康から諸侯をきりはなす方法を採用することに決めます。すなわち、秀頼を伏見城から大阪城に移すことにしたのです。

三成はさっそく本丸へのぼり、御用部屋に入って同僚の奉行衆をよびます。しかし、三成は奉行衆に相談することをやめ、一足飛びに大老の前田利家にもちかけることにします。以下は、この辺の状況を描いた部分です。

やがて、四人の奉行衆が御用部屋にあつまってきた。

「治部少、なんの用じゃ」

と、年がしらの浅野長政が痩(や)せ黒ずんだ顔をあげたとき、三成は急にこの愚劣な小人物どもにそうだんすることがばかばかしくなった。

妙な男だった。横柄(おうへい)な顔で沈黙した。そのあと、一座をとりつくろうために別な雑件をゆっくりともち出し、適当に会議を終え、かれみずからさっさと立ちあがってしまった。

(気が変わった)

三成は廊下をわたりながらひとりうなずいた。この男にはそんなところがある。この男の頭脳には深い思慮よりも、電光のようなひらめきに適していた。ひらめけば機敏に行動した。そういう三成の行動を他人の感情はどううけとめるものか、この男にはそれを汲(く)みとれる能力だけが、どういうものか天性欠けていた。

こうした独断即決の三成に対して、家康は人の言うことをよく聞いて物事を決定する習慣がありました。参加型意思決定方式ともいえる家康の意思決定のやり方は、次の場面によく現れています。

人に好かれる方法に係る事例3:家康の参加型意思決定

慶長五年七月十九日、西軍が伏見攻めを開始します。それまで上杉討伐のために北上していた家康は、七月二十四日に野州小山の宿についたところで、全軍に前進停止を命じ、明日軍議を招集する旨を通達します。以下の文章では、この軍議に先立って、家康が内々の軍議を開催する理由と彼の意思決定方法が描かれています。

「そのまえに」

と、家康は、茶を喫みおわって井伊直政にいった。

「内々(うちうち)の軍議をひらきたい。内々のみ、いまこれへ集まるように」

内々というのは幕僚会議というべきものであろう。議題はひとつである。いま前進して予定どおり会津の上杉氏を討つか、あるいは軍を旋(めぐ)らせて西へ長途の行軍をし、いずれかの土地で三成と決戦するか、それともほかに妙案があるか、ということであった。

(わしの肚(はら)はきまっている)

家康は、ふだんよりもつややかな血色をみせつつそう思った。

(しかし弥八郎や万千代たちの意見もきいてやらねばなるまい)

この老人のむかしからのやり方だった。かれは信長や秀吉のように自分の天才性を自分自身で信じたことは一度もない。つねに衆議のなかから最も良好とおもわれる結論をひろいとった。自分に成案のあるときも、それを隠して衆議にはかった。結局は彼自身の案を断行するにしても、衆議にかけることによって、幕僚たちは頭脳を練ることができたし、それを平素練りつづけることによって徳川家の運命を自分の運命として感ずる習性を養った。

まとめ

いかがでしたか?

人に好かれる方法として、他人の言うことをよく聞くことがいかに重要であるかが分かりますね。

ダグラス夫人の事例のポイントは、ささいなことにも、やっきになって文句をいう人に対しては、じっと終わりまで耳をかたむけてあげれば、たいていおとなしくなるものだということです。

その理由は、こうした人たちは、本当は、自己の重要感を欲しているからです。彼らが望んでいるのは、自分の話に耳をかたむけてくれ、自我を満足させてくれる熱心な聞き手なのです。従って、苦情を聞いてくれる人によって重要感が満たされると、その人の妄想がつくりあげた不平は、たちまちにして消えうせることが多いというものです。

人に好かれる方法としての聞き手に回ることの効果は、一デパートの売上に影響するだけでなく、一国家の命運に対しても大きな影響を与える場合があります。

石田三成の人気のなさは、人の言うことをよく聞かない彼の性格によることが大きかったようです。しかし、そのために、彼が率いる西軍は団結力がなく、バラバラの状態だったのです。

一方、三成とは対照的に、家康は家臣の意見をよく聞くことを重視していました。

家康は、自分の独断を信じた三成と違って、参加者一同の賢愚さまざまの意見をききながら自分の意見をまとめてゆくという思考法をとってきました。

このような方法だと、結論を出す過程に参加したことにより、参加者は結論を自分のものとして感じることができるのです。

家康とその家臣である三河武士の結束力が強かったことは有名です。物事を決める際に、人の意見をよく聞く家康の思考法が、家康と家臣の結束力の強さに大きく貢献した、と考えることができそうですね。

関ケ原の戦いで勝者と敗者になった家康と三成の違いは、人に好かれる方法に代表される、人間への洞察力についての二人の差にあったともいえるのではないでしょうか。

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