心からでないと嫌われる、人に好かれる方法は、心から○○ること

友達から嫌われるのが怖くて、なかなか声をかけられない主婦の方へ!

今回は、カーネギーの「人に好かれる方法」の中から、「心からほめる」を取り上げ、その重要性について事例をまじえながら論じます。

事例には、カーネギーの『人を動かす』から選んだ西洋における現代の事例と、司馬遼太郎の『関ケ原』から選んだ日本の戦国時代の事例を使うことによって、カーネギーの法則が時空を超えて通用するのかも検証しています。

人に好かれる方法6:心からほめる

カーネギーによれば、人間の行為に関して、重要な法則がひとつあります。

この法則にしたがえば、たいていの紛争は避けられます。

これを守りさえすれば、友はかぎりなくふえ、常に幸福が味わえます。

しかし、この法則を破ったとなると、たちまち、はてしない紛争に巻き込まれることになるのです。

この法則とは「常に相手に重要感を持たせること」です。

人間は、だれでも周囲のものに認めてもらいたいと願っています。

自分の真価を認めてほしいのです。

小さいながらも、自分の世界では重要な存在だと感じたいのです。

見えすいたお世辞は聞きたくありませんが、心からの賞讃には飢えているのです。

自分の周囲のものから、心から認め、惜しみなくほめられたいと、みなそう思っているのです。

人は誰でも他人より何らかの点ですぐれていると思っています。したがって、相手の心を確実に手に入れる方法、つまり人から好かれる方法は、相手が相手なりの世界で重要な人物であることを率直に認め、そのことをうまく相手に悟らせることだ、とカーネギーは指摘しています。

以下はその一例で、カリフォルニアのカーネギー教室の講師ロナルド・ローランドが書いている工芸の初級の生徒クリスの話です。

人に好かれる方法に係る事例1:工芸の上級クラスに進める生徒の話

クリスはもの静かで、内気な、自信のない、したがって目だたない男の子だった。わたしはこの初級クラスのほかに上級クラスも受け持っているが、上級クラスに進むことは、生徒にとって大きな誇りであった。

ある水曜日、クリスは自分の机で熱心に作品と取り組んでいた。彼の心の奥に燃えさかる情熱の火を見る思いがして、わたしは、強い感動を覚えた。「クリス、どうだね、上級クラスに入れてあげようか?」わたしの言葉を聞いたクリスの顔は見ものだった。十四歳の恥ずかしがり屋の感激にあふれた顔! うれし涙を懸命にこらえているようすだ。

「え! ほくを? ローランド先生、ぼくにそんな力がありますか?」「あるとも。君には十分それだけの実力があるよ」。

それだけいうのが精いっぱいだった。わたしの目にも涙があふれてきそうになったのだ。教室を出ていくクリスは、心なしか背たけが二インチばかり伸びたように思われ、わたしを見る眼はかがやき、声には自信が満ちていた。「ありがとうございます。ローランド先生」

クリスはわたしに生涯忘れ得ない教訓を与えてくれた。人間は自分が重要な存在だと自覚したいのだという事実に対する教訓がそれである。わたしは〝あなたは重要な存在だ〟と、この教訓を記した標示板をつくり、皆も目につくように、また、私自身が、生徒はそれぞれ等しく重要な存在であることを常に忘れないように、教室の入り口にかかげた。

人間は、だれでも周囲のものに認めてもらいたい、自分の真価を認めてほしいと願っている、ということが分かるこうした話は『関ヶ原』にもあります。人に好かれる方法を熟知している家康に賞讃されたことによって、感激する清正の話はその一例です。

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人に好かれる方法に係る事例2:加藤清正をほめる家康

家康にとって天下をとるためには、加藤清正を味方に引き付けておくことが最重要課題の一つでした。もし、加藤清正の人気と石田三成の謀才とが一組になって豊臣家を押し立てるならば、秀吉の子である秀頼の天下は安泰であと思われたからです。

次の文章は、人に好かれる方法として、家康が清正のことをほめ、そのことにより清正が感激して家康に好意を抱いていく様子が生き生きと描かれています。

・・・(ある日)、たまたま家康の屋敷に、山岡道阿(どうあ)弥(み)という故秀吉のお伽(とぎ)衆(しゅう)だった老人をはじめ五、六人の大名があつまった。

家康は酒肴(しゅこう)を出し、めずらしく酔い、

「道阿弥どのは足利(あしかが)、織田(おだ)、豊臣の三代にお仕えなされて数多く戦場を往来し、世の武将も多く見てまいられたが、いまの世で名将というのはたれのことであろう」

と問うた。道阿弥は恐縮し、

「おそれながら名将とはいまおおせある内府ご自身のおんことと存じ奉りまするが、いかに?」

そう答えると、家康はかぶりをふり、

「加藤主計頭清正こそ、日本無双の良将である。武勇は賤(しず)ヶ岳(だけ)の七本槍(やり)にはじまり、さらには朝鮮七年のあいだに異国の大軍を引き受けての働き、ただただ弓矢の神の再来かとおもわれる」

といったから、一座はざわめいた。意外な名前が出たからである。

・・・

(加藤清正。―――)

という名の印象は、ひとびとにとって、太閤一門の人でありかつ早くから秀吉に愛されてその抜擢(ばってき)をうけ、朝鮮ノ陣では先鋒司令官をつとめて苦難をなめた、という程度でしか、いまのところはない。

それは認識不足だ、と家康はいうのである。

「清正が大名になってからの大合戦(だいがっせん)は肥後での内乱鎮圧をのぞいては、ついさきの朝鮮ノ陣しかない。だから世評がまだ定まらず,おのおのはこの仁(じん)の器量をしらないであろう。わしは朝鮮における諸将の戦ぶりを巨細(こさい)となくしらべ、清正という人物がいかに名将であるかを知った。とてものこと、わしのおよぶところではない」

とまでいったために一座は、

(内府ほどの人がほめるとは)

とおどろき、単に武辺好きの荒大名にすぎぬとおもっていた清正を、あらためて見なおすおもいがした。

「ただ」

と家康はいうのである。

「わしのほうがまさるところがある。清正という人はわしよりも年若なせいか、すこし粗忽(そこつ)の心あり、物にかろがろしく、あるいは人に調略(ちょうりゃく)されて大事をあやまるときがあるかも知れぬ」

この家康の清正評は、その日のうちに清正のもとにつたわった。

清正はおどろき、

(士はおのれを知る者のために死すという。太閤殿下なきあと、われを知ってくれる御人は、徳川殿のほかにない)

とまでひとすじに思った。

このように、家康は、清正のことを「日本無双の良将」であるとほめるとともに、「年若なせいか、すこし粗忽の心あり、物にかろがろしく、あるいは人に調略されて大事をあやまるときがあるかも知れぬ」と清正の弱点を指摘することを忘れてはいません。

このことは、単に清正をほめるだけよりも、清正に対する客観的な評価と取られたのでしょう。清正にとっては家康が清正を理解し、かつ正当に評価していると感じられたのでないでしょうか。

その結果、(士はおのれを知る者のために死すという。太閤殿下なきあと、われを知ってくれる御人は、徳川殿のほかにない)とまでひとすじに思ったようです。

家康は人に好かれる方法を熟知していることが分かりますね。

まとめ

いかがでしょうか?

人に好かれる方法として、人をほめることがいかに大事かが分かる話しでしたね。

以上の話は、自分をほめ、認めてくれる人がいた場合、その人のためならば死んでもいいとまで人間は思うことがある、ということを示唆しています。

ただ、清正はこのとき夢にも家康に調略されているとは気づきませんでした。家康の言葉は、一言一句、政治が含まれていたのです。

このように、人に好かれる方法は、使う人によって、また使う目的によっては、他人を利用する際にも有効な「悪魔の方法」だということが分かりますね!

デール・カーネギーもそのことには気づいていたようで、「こころからほめる」とわざわざ「こころから」とつけています。見えすいたお世辞をいうことだけでなく、悪用されるのを防ぎたかったからかも知れませんね!

人に好かれる方法に係る賢人の言葉

人と話をするときは、その人自身のことを話題にせよ。そうすれば、相手は何時間でもこちらの話を聞いてくれる。(大英帝国の政治家ディズレーリ)

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